朝からタップの足慣らしをしていたら、イギリス人のギタリストと出会い、金曜の夜にチェンマイの市内でストリートをやる事になりました。
岩の上でもやってみました。清涼感が出ますね。
宿に帰ってから、ベトナムのホイアンで見た朝日を描いてみました。
旅の中で毎日書ききれないほどの経験をしてきました。そして今もしています。
幸運である事はもはや確信しています。一方で幸運を感じられるのは、常に挑戦し続けて、常に行動があるからだとわかってきました。
いい、悪いではなく、やるかやらないか、経験とはそういう視点で培うものである気がします。
大人になり、責任や役割の中で得る経験も、子供のように自由に創造し、工夫し、全て遊びに変えて行くそんな経験も、どちらも何が自分という器にとって心地よいか、その「感覚」というアンテナを信じれば程よく培って行ける気がします。
自分を含めて人は誰もが錯覚の中に行きている気がします。
自分という錯覚。社会という錯覚。見えているという錯覚。聴こえているという錯覚。
私は教えられるという錯覚の中で、タップを教えて来ました。そして、踊れるという錯覚の中でタップを踏んでいます。
いい、悪いではなく、やるかやらないか。幸運への努力とはそういうことかもしれません。