だから、続いている。という感覚と、
それでも、続けていく。という感覚。
1200年の歴史の重さの前に私も個人もない。
寒さも、単調さも、忙しさも、ひもじさも、それがどうした?という感覚になる。
護国の為に、今日も祈り続いている人間がいる。
1200年も祈り続いている歴史が日本に、高野山にある。
朝練は、自分の為であると同時に、目に見えない誰かの為の祈りでもある。
この世界の美しさを知る事、知ってもらう事、この世界こそ天国という感覚を自分はもちろん、人や全ての生命が感じることが出来ることこそ、菩薩道の悲願。
ASAKI