自分の顔も、自分の背中も、鏡やカメラといった道具を用いなければ、見えません。
つまり、自分が一番見えないものです。
自分が正しいなどと言えないし、自分が間違っているとも言えません。
誰もが本質的に自分が見えないということを自覚した上で、感じ、観じる何かがあるのです。
それは自分が持つ本質的な性質のようなものです。
世界を認識する「自分」というフィルターです。
リラックスし、自分をひたすら観察する。
観察の段階が進んで行くと、世界の感じ方や「自分」の感じ方が変化して行きます。
言葉は意味ではなく、響きであり、響きこそが意味となります。