ASAKI’s blog

ASAKIのつれづれなる日記

無事下山

昨日、傷つけられたバイクを修理に出す勢いで、富士山に行く事にする。

自分の行動パターンは、ただでは転ばないタイプで、転んだら転ぶ勢いを利用する事が多い。

雨と分かっていても、富士山へ行くなら今だと決断。

電車で御殿場まで行き、御殿場から須走登山口までバスで行く。

もともとあまり人が多くないルートらしいが、加えて雨が降っていたので、ほとんど人に会わず、7合目にある山小屋「太陽館」に辿り着く。標高は3,000mだが、そんなに疲れもない。
 宿泊者も私のほかに2、3人であった。雨は降ったりやんだりだが、風は強い。
明日は深夜1時出発で頂上を目指す事にするが、恐らくご来光は拝めないだろう。
山小屋はなかなか寝付けない。

あまり睡眠を取れないまま、朝というか、真夜中、何も見えない山道を暴風雨の中一人、出発する。

風で飛ばされそうで、ヘッドランプを付けているものの雨で視界が遮られる。

身の危険を久々に感じた。無理せずに本七合目にある見晴館で日の出まで休憩させてもらう。

山は自己責任。計画を変更する柔軟さがなければいけない。

翌朝4時半。少し日が見える。雨風はまだあるが、道が見えれば登れない事はない。ビショビショの装備を背負い、まずは八合目まで登る事にする。身体が冷えて寒い。高地のせいで、呼吸も速い。
自分自身にかけ声を掛けながら登っては休み、登っては休む。
声はエネルギーだ。昔の人が労働とともに歌を歌った気持ちがわかる。黒人の人が奴隷線の中で、足を踏み鳴らし、タップが生まれた瞬間が、必然であった事がわかる。生死にかかる苦しさの中で、音のエネルギーが生きる力を、前に進む力を与えてくれる。

八合目では山小屋で暖かいお汁粉を頂く。生き返る。人の声が嬉しい。暖かい飲み物が嬉しい。
忘れかけていたものが、とても必要なものが分かる。俺は一人を望んでいるのではない。一人苦しいときに感じる、人の温かさやこれまで支えてきてくれた人への感謝や出会った全ての人との思い出がどれだけ人間にとって大切なものかを心から感じようとしているだけなんだ。そう思った。

八合目で少し休みいよいよ頂上を目指す。
風はいっそう強く、苦しさと寒さは増すばかりだった。
不思議な事に、今まで思いもしなかった、小学校の校歌が口から出てきた。
死ぬ瞬間に人が味わうという走馬灯のような懐古感に似たものを恐らく味わったのだろう。理解されなかった事や、理解してあげられなかった事、自分が積み上げてきたものは死の瞬間にこうして懐古されるのかと感じた。

何度も足を止めながら、頂上に付くことが出来た。神様ありがとう。

頂上も暴風雨で、景色も見れず、神社にお参りし、カップヌードルを食べてすぐ下山する事になったが、それでも神様ありがとうって思えた。

どんな苦しい瞬間も、それは試練だと思える。私は試されている。苦しければ苦しいほど、期待を込めて試されている気がする。

下山時には、晴れ間も見え、麓の緑や町、湖、海、山、空、雲、全てが一瞬の芸術作品を見せてくれた。

須走ルートの帰り道は飛ぶように下山出来る道になっていて、楽しく一人遊びしながら3時間くらいで下山出来た。

身体は疲れているが、得るものの大きい富士登山だったな♪

富士山滑り台(^o^)
ASAKI

暴風雨が去り
天国が見えた(^o^)
ASAKI