ASAKI’s blog

ASAKIのつれづれなる日記

違和感と向き合いつつ…だな(笑)

最近は都市にあるものが空以外全部ニセモノに見えてしまって、少し困る(笑)

森にある

地・水・火・風・空

は全部生きている。

生きているって感じるホンモノ。

生かされているって感じるのはニセモノ。

なんかそんな感じになってきてる。

言葉もニセモノ。

声はホンモノ。

どっちも多分機能してこの世界はあるのだと思うのだけど、感覚が開くとなんかいろいろ敏感になり過ぎて、苦しかったりする。

確かに生きていくのに鈍感力は大切な気がする。

一方で地水火風空の声も敏感に聞いていたい。

理屈じゃない部分。

そこに生活をシフトしていくと、どうなるのだろう。

こうしてブログで言葉を通して考え、発信、共有することからオフグリッドしたらどうなるだろう。

ホンモノに近づくかな。

それは喜びかな。苦しみかな。

やっぱり違和感と向き合いつつ、中間で葛藤し、揺れているべきかな(笑)

感動→練習→感動→

玉野SEA1000人達歩に向けて、それまで受け身でいた仲間が自主的に動き出した。

仕事の後に集まり、毎日練習2時間練習をはじめた。

感動した。

この感動を活かして、次の感動に繋ぎたい。

自分に出来る事、したい事がポンと出てきた。

とにかく4日間で20時間練習時間を作ってみた。

日常が練習でもある。習ったことを練るのが練習。

達歩で磨くべき要素、
リラックス、センター、バランス、フォーム、バネ感。
は365日、活動している日常で常に意識し、工夫している。

今回のこの20時間は

タップシューズを履かないと出来ない、音と感覚の同期やフレーズと感覚の同期にフォーカスを当てる。

モチーフは、『ぐりとぐら』というストーリーでも、Boleroという振り付けでも、音楽的な括りの1つである六連符でも、ステップ的な括りの1つであるフラップでもなんでもよく、

とにかくめいっぱい感覚を開いて、感覚とステップ(音とフレーズ)を同期させていく。

感動から練習が生まれ、練習から感動が生まれる。

快と戒の永遠の循環(海)は練習から生まれる。

言語感覚

感覚の源に影響を与えるのは『音』と『抑揚』

音は長さと響きであり、抑揚は強さと音と音の相対力である。

言語が持つ『音』と『抑揚』の感覚の違いはそれぞれの言語を使う民の感覚の違いにも関係する。

達歩という言語感覚がある。そう捉えている。身体感覚でもある。

自然界の『音』と『抑揚』に感性を開くと石の言葉や水の言葉、海の言葉が聞こえてくる。

達歩はそうした言葉の要素を皆と共有する為に伝えている。

先人の知恵や西洋の音階や東洋の陀羅尼や私の経験智や身体というフィルターは通すべくして通している。

私と皆との響き合いのバランスを考え、作品を作り、またバランスを見ては作品を変化させている。

言語が時代と共に変わるように。

たくさんの人との関わりが作品を作りあげ、新しい言語感覚として未来を創る。

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俯瞰と経験智

気付いている存在は力を持っている。

俯瞰してみる。

力がうまく機能すると、波は増幅される。

うまく機能しないと打ち消しあう。

だから、俯瞰してみる。

視座を高くする。様々な視点から俯瞰してみる。

自分の活かし方、人の活かし方を考えてみる。

立ち位置、距離感が大切だとわかる。

力を発揮するタイミングのズレが全てを駄目にする事もわかる。

これは経験智の部分かもしれない。


小さな革命

今の私の生活。

つまり電気ガス水道をフグリッドした山小屋生活は、経済至上主義への小さな革命です。

それは、震災で泥かきに石巻に入った時に感じ、世界一周タップの旅の時に感じ、帰国後東京で感じた、人間の在り方への違和感に基づく。

私も含め、人間は持ち過ぎると見失う。

人間視点だけの豊かさの追求が、見えないところで沢山の苦を生み出している。

だから人はと同時にを持たないといけない。

そういう生活や世界を目指さないといけない。

少し不便。でも楽しめる。

そういう感覚。

あるものを活かす為に知恵を使う。

そういう感覚。

動けるものが動き、この世界の血液となり、文化や気付きを広めていく。

そういう感覚。

私がしようとしている事、している事は、決して大きな事ではないが、小さな革命であり、小さな革命家が、自然に増える時代だと感じています。

誰でも世界へ発信出来るのですから。

反芻

例えば人に会った後に、その人のことを思い返し、その仕草、言葉、また、自分自身の在り方を考えたりする。

一つの出会いから得られることは、その瞬間だけでなく、その後もたくさんの愛火(まなび)を灯してくれる。

映画を観たりした後でも、音楽を聴いた後でも、この反芻する時間が好きだったりする。

声を出さず、中でじっくりと味わう時間。

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仲間

その時その時で、様々な仲間に出会ってきた。

よく考えると人間だけでなく、動物の仲間にも出会ってきた。

片想いかもしれないけど、そう思って接した方が人生という冒険は愉しい。

棚田1000人達歩にしても、玉野SEA1000人達歩にしても、日々の生活にしても先の分からない人類史上初の冒険なんだ。

ずっと、共に冒険してくれる仲間もいれば、その時だけの仲間もいる。

それでも、それだからこそ仲間との時間は有難く、密度が濃い。

仲間との間に、

ルールなんて要らない。

信頼があればいい。

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