2016-02-29 反芻 例えば人に会った後に、その人のことを思い返し、その仕草、言葉、また、自分自身の在り方を考えたりする。一つの出会いから得られることは、その瞬間だけでなく、その後もたくさんの愛火(まなび)を灯してくれる。映画を観たりした後でも、音楽を聴いた後でも、この反芻する時間が好きだったりする。声を出さず、中でじっくりと味わう時間。
2016-02-27 仲間 その時その時で、様々な仲間に出会ってきた。よく考えると人間だけでなく、動物の仲間にも出会ってきた。片想いかもしれないけど、そう思って接した方が人生という冒険は愉しい。棚田1000人達歩にしても、玉野SEA1000人達歩にしても、日々の生活にしても先の分からない人類史上初の冒険なんだ。ずっと、共に冒険してくれる仲間もいれば、その時だけの仲間もいる。それでも、それだからこそ仲間との時間は有難く、密度が濃い。仲間との間に、ルールなんて要らない。信頼があればいい。
2016-02-26 個性 日々雑感 一人一人が違うということ。一つ一つが違うということ。その波長でいると、分別という意識が生まれ、差が生まれ、ある人にとっては苦しみになり、ある人にとっては喜びになる。波長をマクロやミクロにチューニングすると、すべては繋がっていて、個性は一時の現象か反応になる。一人一人も、1つ1つも幻のようなものになる。と空想していたら、腹が減った。空想は次の世界への準備。空腹はこの世界に自分を繋ぎ留めてくれる証。
2016-02-24 感即動 ずっとその場で動けない木々や植物を見ていて、動こうと思えば動ける人間であるならば、見たい、知りたい、会いたいと思ったなら、動こうよ。って感じる。動ける時に動かないともったいない。感じたら、動こう。動きながら感じよう。人間である時に人間の能力を活かそう。
2016-02-21 神仏に祈るとは。 神仏に祈るという行為は、自分自身の仏性に向き合うという事だと思っています。つまり、全ての人や生き物、モノにも仏性があると、正直に思えるか、思える状態にあるかが大切だと。一昨日、昨日と、会陽の時期もあってか。山で枯れ枝を集めながら、その一つ一つの美しさに、ちょっと心が打たれ、そんなことを改めて感じた次第です。