それは所謂『現実』を疑う事から始まっているのかもしれない。
だって、『自然』という完璧な『現実』に対して人間社会の『現実』は真逆に進もうとしているから。
自然界には『無駄』も『悪い』も『汚い』も『恥ずかしい』もない。
ただ『ありのまま』が『ありがたい』
それは
『分けてはいけない』
『分別』こそが苦の原因だという仏教の教えに通じる。
しかし、人間は『分別』に底知れぬ喜びを見いだすのだ。
世界を創るというのは、ありのままの自分を観、ありのままの創造性を発揮したときに生まれる何かに触れる道。
そう、『世界』とは『道』。
どんな世界(道)を創りたい?
利己が巡り巡って利他になる世界(道)なのかもしれない。
道は続く。