mbeattap’s blog

世界一周タップダンサーASAKIのつれづれなる日記

整理してみよう!

自分が何かで頭がいっぱいの時、何故それに捕らわれているのか、自分なりに整理してみようと思いました。

自分が今まで何をしてきて、そこから何を学んできたのか?まずはそこから。

まず、野球。小学4年生から、大学を卒業するまでの約12年間。

仲間と勝利を目指し、切磋琢磨し、時には衝突し、時には笑い合い、先輩後輩の厳しい上下関係があるからまとまる社会と、自分のポジションや役割を考えながら行動する事で成り立つチームプレーを学びました。

そして、その時に感じた役割を担う事、立場を担う事の息苦しさも感じました。

次に大学4年間、一人暮らしをし、学費も生活費も朝と夕方の新聞配達でやりくした苦学生時代。

負けない心、負けたくない心、表現したい心、表現出来ない苦しさ、誰もいない早朝の街のビルの上から見た朝日の美しさ。

働く事の苦しさ、生きる事の苦しさが大きければ大きいほど、特別に感じた朝日の美しさ。優しさ。を学びました。

そして、夢を追いかけた演劇。野田秀樹さんの、舞台でめちゃくちゃに走り回り、言葉で遊び、世界を産み出す力に大きな刺激を受けました。

言葉の力。創造する楽しさを学びました。卒論も野田秀樹さんと夢の遊眠社でした。今また観たい劇団no.1です。

食えない演劇への挫折。挫折した自分への挫折を救ってくれたのは、タップでした。

言葉ではない、音と動きの世界。そこで感じたかっこよさ。誤摩化せない潔さ。

映画「タップ」をたまたま深夜番組で見た時の興奮。NYでセビオン・グローバーの「Bring Da Noise,Bring Da Funk」を見た時の興奮。

今でも、変わらない何かよくわからない、理屈じゃない刺激。この世界を知っているって事、天才とか神技とか、本当に同じ人間なの?って思うような感覚。

学び続けている真最中なのに、一緒に学ぼうってスタンスで教えたりして、でも自分が衝撃を受けたのはこんなもんじゃないんだ、全然違うんだよって思っている葛藤と苦しさ。

そんな事を15年近くやってきて、ちょっとプチって感じで何かがきれちゃって、1年間くらい、上を目指さず、下ばかりを見て来た気がして、また、なにかポロっと剥がれて、野球やる前の子供の頃のように、フワフワして、旅や絵や、タップと違う方向に興味が膨らんで・・・。

そんな今の自分を、まあ、とりあえずは肯定するしか無くて、そんなもんでしょ。そんなもんかな。みたいな自分が、こうして日記を書きながら見えて来ました。

あぁ、昨年の震災も何かが変わるタイミングでした。もう、困ってる人の為に何かしなきゃいかんって動いて、でも、人間と自然の在り方に対して、やっぱり違和感はあった訳で、人間が過信する生き物であるともっと謙虚に受け止めないといけないと感じました。絶対安心も、絶対大丈夫もなくて、地球様は生きていて、そこに仮に住まわせていただいてる身である訳ですから。人間目線でみれば、被害者であっても、自然目線でみれば、加害者だったりもするわけです。自覚がないだけで。あるいは、分かっていて。

自分という人間の中に、とっても社会的な、立場や役割を考える面と、とっても幼稚なわがままで、気まぐれで、熱しやすく冷めやすいような面があるわけで、それは恐らく自分だけではなく、人間という生き物の中に多かれ少なかれ存在するものだと思っています。
その瞬間、痛みを感じても、時が経つと忘れてしまうような。

神も仏も全ての人の中にあり、鬼も悪魔も全ての人の中にあります。恐らく。

そして、この世界は時に、天国であり、時に、地獄でもあります。たぶん。

さてさて。ここまで整理出来ました。

そして、今観じる事は、子供はみんなかわいい、そして正しい。動物はみんなかわいい、そして正しい。植物はみんなかわいい、そして正しい。その正しさを認めない大人はみんな間違っている。子供、動物、植物を尊重しない判断は常に間違える。その間違えを修正するため考える。判断する。そして結果それは間違える。

自然や子供を無視した考え、判断=間違える。自然や子供の感覚=正しい。

という図式。

俯瞰すれば、自然界に正しいも間違いもないと言えますが、どうも人間は自然界とはちょっと違う世界に入る気もしたりします。
ウイルスやガン細胞に例えられるように、何か世界にタイムリミットを与えるような存在な気がします。

危機や争いが減り、人口が増えれば、それでも地球の資源は枯渇する訳ですから。

でも、希望はゼロではないですね。自然界、あるいは宇宙的な視点に立てば、まだ何も始まっていないのかもしれません。

とりあえず、生きているうちにもっと地球を感じる旅をしようと思っています!