Tapを16年くらいしていると、多少の故障に合う事もある。そして、その時がより深く肉体と向き合うチャンスとなる。
少し丁寧に身体を使う。完全に休むのではなく、丁寧に使う。その中で自分が求めるものを知る。
制約がバネになる。
社会という制約が、生み出す何かがある。
世界は真理とは真逆へ進む。しかし、それもまた真理なのだと認識する。
絶望するのではなく、制約の中で、希望を見つける在り方がある。
なかなか、しっくりはしないだろう。なかなか、なっとくできないだろう。その感覚こそが私にとっては猛烈な説得力を持つ。
全てが不思議で仕方がない。私には何もない。空っぽである。そこに、何かが入り、何かが流れ、響く。
私という制約。何かが注がれる為の制約。
痛みは時とともに消えて行く。消えて行くものである。
今、捕らわれているものも、これから捕らわれられるであろうものも、ちゃんと消えてなくなる。
私はそれを悲しむのではなく、それこそが、大きな愛だと感じる。
日々、呼吸し、鼓動を刻み続ける、肉体の不思議さ。
自らを制約し、自らおかしくなっていく、人間という存在の不思議さ。
死ぬまで「不思議」という感覚は褪せないだろうし、むしろ深まって行く気がする。
なかなか、しっくりはしないだろう。なかなか、なっとくできないだろう。その感覚こそが私にとっては猛烈な説得力を持つ。