ASAKI’s blog

ASAKIのつれづれなる日記

密教の世界観。

上野の東京国立博物館で展示されている「空海密教美術展」に行ってきました。
京都の東寺高野山金剛峯寺に所蔵されている国宝や重要文化財を見る事が出来ます。
個人的には、実際に東寺高野山で見た時の方がしっくりくるものがありましたが、空海さんや真言密教を知るには良い機会かもしれません。

ちなみに空海さんは、インドから中国に伝わった密教の正式な継承者です。(そんな密教の一子相伝的な所が、「北斗の拳」ぽくて好きです。)その辺のエピソードが面白いから、人気があるんだと思います。

そして、現代のように医学や薬が身近ではない時代には、人間の死や病気に対する心の依り所は、まじないや祈りや目に見えない何かであり、その中で空海のもたらした密教はたくさんの人々に希望や奇跡を与えたのだと思います。

一方、医学や科学の発達した現代においてもまた人々の不安は、消える事がなく、会場は人、人、人の大盛況ぶりでした。(つまり、人間とは常に不安を抱え続ける生き物なのでしょう。)

まあ、でも、これだけ人がわさわさしていると、心が落ち着かないもので、一通り見た後に、護国寺へ手を合わせ、心を鎮めに行きました。
護国寺のいい所は、本殿に畳が敷いてあって、座って瞑想出来る事です。ここも真言宗なので、空海さんと繋がっています。
密教の大きなテーゼの1つが、護国なので、日本という国と実は大きく繋がっていたりします。

空海さんの言葉で「法はもとより言なし、言にあらずば顕われず、真如は色を絶つ、色を待ってすなわち悟る」というのがあります。

つまり、何かを把握しようとするとき人は、言語に依らざるを得ないけど、でもそこにありのままの真実はないんだよ〜っことですね。

感じたものが全てじゃんって。感じ方は人それぞれじゃんって。

これって、自ずから然らしむ。自然(じねん)に繋がる気がします。つまり、悟る人は悟るし、悟らない人は悟らないって事。

気付く人は気付くし、気付かない人は気付かないって事。空海さんって頭が良くて優しいなって思います。

わかっていて、なお、人々を救おうと、すごい色んなヒントを後世に残してくれているから。

ちなみにダライ・ラマのおじいちゃんも頭が良くて、優しい、密教の継承者です。

密教って人間の欲や愚かさを受け入れ、自然との関わり方から、量子力学や絵画的な色彩感覚や、音楽的な響きの意味さえも内包している、頭が良くて、まあまあおおらかで、キランとした世界観があるから、好きです。自分には少し知的すぎて、きちんとし過ぎている感もありますが・・・。

ASAKI