抗うのではなく、受け入れる。
大人になるというのは、そういうことかもしれません。
生きるという事は、基本的にしんどいです。
限りがあるから頑張れる部分があります。
「幸せ」という感覚はあっても、ずっと「幸せ」は幻想です。
「不幸」という思い込みはあっても、ずっと「不幸」は奇跡です。
音楽は「緊張感」あるいは「不安定」と「解放感」あるいは「安定」という要素で出来ています。
ストーリーとはそういうものですが、私たちの普段の日常もそういう要素で成り立っています。
時間単位で見る事も分単位で見る事も月単位で見る事もできますが、そういう規則性があります。
そういうことを私は人生に於いて学んでいるのだなと感じます。
「人生は一筆。」石巻で感じた人生観は、人の生と死を俯瞰した時に見える見え方ですが、一瞬一瞬は、反射的な判断、習性の積み重ねです。つまり自ら創り出しているものです。
生きているということは、意識するしないに関わらず、クリエイティブな表現活動です。評価するのは自分です。
何かに敏感になったり、何かに鈍感になったり、そういうコントロールは主に他者との繋がりや響き合いのバランスを取るのに役立ちます。
私は敏感になり過ぎたり、鈍感になり過ぎて、他者と上手く繋がれなくなる事がたたありますが、最近はそういう宿命として受け入れる感があります。
自分自身に対して、あるいは世界に対して、
「気付く」というのは1つの幸せであり、1つの不幸でもありますね。「気付かない」というのもまた然りですね。
人間の思考とは絶対的な正解に辿り着かないから、しんどいし、めんどくさい。
同時に、どっちにでも行ける自由な選択が与えられているとも考えられます。
勇気と元気と笑顔の方向に。そちらに行きたい。行けるといいな。